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アイディアを固める。

総理の男の物語

加納慎策(かのう しんさく)(35歳)

彼女...安峰珠緒(やすみね たまお)(29歳位)

内閣総理大臣....真垣統一郎(まがき とういちろう)(40歳)

内閣官房長官...樽見政純(たるみ まさずみ)

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「毎日のようにあの芸を披露しているんでしょう。観客が多少増えるだけの話です」 「あんたの言ってることは無茶苦茶だっ」 「国難を排除するためだったら無茶もする。詐欺師紛いのこともする。いずれも国益の前では取るに足らないことだ。それにもちろん、タダという訳じゃない」  樽見は人差し指を立ててみせた。日頃から演技を研究しているので分かる。それは、条件提示に自信のある人間がよくする仕草だ。 「失礼だが少々調べさせてもらいました。劇団員というのはアレですね。まあ、そんなに贅沢な暮らしができる仕事ではなさそうだ」 「贅沢したくて役者をやってる訳じゃない」 「これは失礼。しかし舞台稽古に時間を取られ、満足にバイトもできないのでは、高楊枝を咥えるのも困難でしょう」 「日当でも払おうって言うんですか」 「お望みならそれでも構わないが、こちらはもう少し魅力的な報酬を用意しています。どうですか。小さな劇団でじっくり演技を磨くのも悪くないが、テレビや映画で脚光を浴びるのもいいと思いませんか」 「……それってメジャーデビューってことですか」 「新人俳優一人デビューさせることなど造作もありません。政府が操れるのは公共放送だけに限ったことじゃなし。大手映画会社あたりに売り込むも良し、政府広報のイメージキャラクターになるも良し。いや、いっそ大河ドラマの主役に大抜擢というのも、意表を衝いて面白い」  大手映画会社。  政府広報イメージキャラクター。  大河ドラマ。  ついさっきまでは別世界の話だと思っていた。だが、今目の前に座っているのは、この国の首相を支える男だ。この男が指をひと振りすれば、大抵の魔法は実現する。国会対策に比べれば、チンケな劇団員の人生を一変させてしまうことなどいとも簡単だろう。  そう考えると、真垣の影武者を演じることに俄然魅力を感じ始めた。芸どころか、国民全員を相手にした大芝居だが、その分見返りは大きい。  降って湧いたような幸運に、怯懦な心が押しやられる。怯懦と一緒に判断力まで押しやられるが、しがみつく気は失せていた。 「まだ何か気がかりなことでも?」  こちらの動揺を見透かしたように、樽見が顔を近づけてくる。不安材料がなくはない。しかし、拒否の意思は薄れている。自分はただ、背中を押してもらいたがっているだけだ。 「あんたの他にも、会わなきゃならない大臣がいるんだろう」 「定例閣議は、毎週火曜日と金曜日の午前中。懸案事項がない時は、世間話に終始することもあります。議長は内閣総理大臣だが、進行役はわたしだから、何とでもなるでしょう」 「マスコミ取材だってある」 「取材?」 「ほら、官邸を首相や大臣が歩いている時に、いきなり聞いてきたりするでしょ」 「ああ。いわゆるぶら下がり取材というヤツですが、これも適当に相槌を打つなり無視してよろしい。そんな場所で一国の首相から、軽々に言質を取ろうなどという記者にろくなのはいない。仮にどうしても返答が必要な場合でも、あなたの演技力なら問題ないでしょう」  ここぞとばかりに、樽見は慎策を睨み据えた。敵意は感じられない。しかし謝絶を許さない威迫の目だ。 「報奨は保証します。だが、それより何より、わたしは国の命運を預かった者の一人として、あなたにお願いしたい。この危機を救えるのはあなただけなのです」  頭が深々と下げられる。だが、下げられた側の慎策に、優越感など微塵もない。頭頂部から受けるのはひたすら威圧感であり、感覚としては命令に近い。  それでも、背中を押してもらったことに変わりはなく、元より慎策に拒否権など与えられていない。樽見が、いち個人の人生を好転させられる力を持っているのなら、逆に作用する力を持っているのも自明の理だ。申し出を断れば、おそらく有形無形の懲罰が待っている。 「……分かりました。引き受けます」  力なくそう答えると、目の前の頭がゆっくりと上がった。 「ありがとうございます。あなたなら快諾してくれると思っていましたよ」  初めて樽見が笑ってみせたので、慎策はふっと緊張を解いた。厳めしい面立ちも、破顔するとそれなりに愛嬌があった。  しかし、よく見ると目だけは全く笑っていなかった。  早速だが着替えてほしい、という要請に従って、慎策は別室に移動させられた。そこに用意されていたのは、三つ揃いの背広と包帯で、つまりは、直近に報道された真垣の包帯姿を模写しろという趣旨らしい。  真垣の私服なのだろうか、ずいぶんと仕立てがいい。重厚な印象なのに、手に持つと軽い。襟元の商標を確かめると、慎策も知っているブランド名だった。袖を通してみると、本人と体格が近いせいなのか、まるであつらえたようにぴったりだった。着替えを済ませ包帯を巻いてみる。真垣の包帯姿は昨日テレビで一度見た限りだが、それこそ穴が開くように観察していたので、巻き方も大方再現できた。  扮装を終えた慎策が眼前に立つと、樽見は派手に驚いてみせた。 「これは……すごい。予想以上です」 「大袈裟ですよ」 「いや、決してそんなことはない。実に見事だ。これなら仮に奥さんがいたとしても、騙し果せるかもしれない」  そこまで言われると、満更悪い気はしない。 「これなら第一関門も突破できそうだ」 「第一関門?」 「今から党三役に会わせます」 「えっ」 「真垣総理の病状は回復、まだ継続治療は必要だが、公務復帰には支障なし。本日夕刻の定例会見で、わたしからそう発表します。その前に、少なくとも党三役には復帰の意思を伝えておかなければ、色々と勘繰られますからね」 「い、今からですか」 「こういうのは早いに越したことはない。まず座って。あなたは党三役を知っていますか」  慎策は腰を下ろしながら首を振る。三十代半ばにもなって、改めて自分の無知さ加減を嘲笑される思いだった。 「三役というのは、党執行部の最高幹部たちを指す。具体的には幹事長・総務会長・政務調査会長だ。通例として、この三人が大臣を兼務することはない」 「ええっと……すいません。それぞれレクチャーしてもらえませんか」 「幹事長というのは、党務全般を掌握する、つまり実質的なナンバー2です。現内閣の幹事長は、是枝孝政。その最大の任務は、選挙活動を指揮することですが、是枝は、先の衆院選選挙参謀を務めたことが評価されて幹事長に就任しました。次に総務会長は須郷毅。二十五名の議員で構成される総務会の長で、党の運営と活動について決定する。そして、政務調査会長は国松勉。政策や立法について立案する部会の元締めです」  是枝孝政。須郷毅。国松勉。政治に無関心な慎策でも名前と顔の一致する面々だった。しかし、名前と顔を知っていても、性格や背景までは分からない。  不安が顔に出たのだろう。樽見は合点顔で頷くと、三人について概略を説明し始めた。 「もうそろそろ来る頃だな」  すると、果たしてドアをノックする者がいた。樽見が応えると、三人の男が姿を現した。 「総理。もう身体の具合はいいのか」  真っ先に声を掛けてきたのは精悍な顔立ちの須郷総務会長だった。年齢は七十を過ぎているのに、艶々とした黒髪と、張りのある声がそれを感じさせない。当選十三回、今や最大派閥となった須郷派の領袖でもある。党三役に選ばれると、その議員は派閥から離脱するのが通例となっており、領袖である場合もその例外ではないが、派閥運営には不可欠である事情もあるので、派閥の会合には皆勤している。  濁声と強い意思を思わせる太い眉、そして悪人面。連綿と続く派閥争いの歴史の中、常に隠然たる権勢を誇ってきたので、権謀術数の権化という印象が強いが、樽見の話では、意外に人情家であり、それゆえに信奉者が多いとのことだった。なるほど、間近で顔を見れば、どことなく親分肌であるのも感じられる。慎策は他人の所作はもちろん、その風貌を研究しているので承知しているが、こういう悪人面が笑うと、結構魅力的な表情になる。きっと、世評とのギャップに惹かれる者も多いのだろう。  また須郷は、真垣総理を誕生させた影の功労者でもある。総裁選挙時、最大派閥の長ともなれば、自分の陣営から総裁候補を推すのが普通だが、須郷は、敢えて敵派閥の真垣を支持した。国民党は当時から真垣人気で復活の兆しを見せていたので、須郷の判断は妥当だったのだが、派閥の欲得を抜きにした行動は、この男の巨きさを窺わせた。いくら国民から支持を得られているからといえ、第四派閥相沢派の真垣が総裁選で勝利したのは、一にも二にも須郷の協力があればこそだった。 「実は知り合いの医者にあんたの病状を説明すると、結構厄介な病気だと言うから、気を揉んでおったのだ。その調子では大丈夫そうだな」 「総理は明日から公務に復帰されます」  樽見が代わって応えると、須郷は力強く頷いた。 「良かった。新政権発足でまだまだ基盤が脆弱な今、総理が元気な姿を見せなければ、党員が浮足立つ。どこかの不穏分子が、妙な動きをせんとも限らんしな」  須郷はそう言って、横にいた是枝を一瞥する。是枝は気づかないのか、それとも気づかないふりをしているのか、目を合わせようともしない。 「しかし、公務復帰は喜ばしいことだが、その姿を野党や国民の前に晒すのはどうも……」  政務調査会長の国松が、眉間に皺を作って言う。国松勉、族議員を多く擁する芝崎派の古参。須郷とは対照的に、頰がこけ、やぶにらみ気味の目と相まって病的に見えるが、これでも剣道と柔道の有段者らしい。最大派閥の須郷派には数で劣るものの、構成員に大臣・副大臣経験者が多く、存在感も大きい。国松自身、議員になる以前は、郵便局長会の幹部を務めた男であり、そのため芝崎派は党内既得権益の象徴と目されている。つまり、党内改革・既得権益排斥を謳う真垣とは、真っ向から利害が対立しているのだ。  そして総裁選の際、真垣と最後まで接戦を繰り返したのが芝崎派だった。従って、芝崎派の国松を党三役入りさせたのは、党内敵勢力を懐柔させるのが眼目だった。  しかし、既得権益の保持こそが、国民党の集票に繫がると信じる芝崎派は、国松の党三役入りで満足することはなく、既に次の総裁選を視野に入れているらしい。現状、表立った敵対行動を控えているのは、須郷の指摘どおり、まだ政権奪還が真垣人気に支えられた脆弱な基盤の上に成立しているからだ。派閥争いに勝利したところで、乗っている舟が沈没したのでは元も子もない。 「せめて、その包帯が取れるまでは副総理に執務を代行させてはいかがですかな」  国松は慎策を覗き込むようにして言う。これは、樽見が予測していた反応だった。芝崎派とすれば、自派の岡部が副総理であることを幸いに、短期であっても首相の代行をしたという実績を作り、次回総裁選の材料にしたい考え──それが樽見の読みだった。  樽見からそれを聞いた時は、にわかに信じられなかった。まるで、同じ党内に野党がいるようなものではないか。それほど熾烈な政争を企てる者同士が、同じ釜の飯を食っているという不合理さが、慎策には到底理解できない。 「政調会長。心配はご無用ですよ」  樽見は、およそ感情のない声で国松を牽制する。 「投与した抗生物質の効き目もあって、黴菌に侵された部位も回復しており、高嶺先生の話では、明日にでも包帯は取れるそうです。ただ……」 「ただ?」 「腫れが引いても、融解した皮下脂肪までが復活する訳ではないので、少し目元や頰に痕が残るとのことです。無論、整形を施すこともできますが、それこそしばらくはミイラ男の如き様相となります。元より眉目秀麗が内閣総理大臣の必要条件ではなし、治癒の痕跡が目立てば、病魔に勝利したという貫録にもなる。どちらが有益かは、比較するまでもないでしょう」 「総理。官房長官はこう言っているが、あなた自身は本当にそれでいいのか。老婆心ながら諫言するが、いかに総理総裁の立場にあるといえ、無茶は良くない。かつて選挙戦のさなか、無理を押して、結局は早逝してしまった総理がいたことを、あなたもご存じだろう」  国松は未練がましく言い募る。樽見はそれさえも見越していた様子で、冷ややかに構えている。そして、ちらとこちらに視線を送ってきた。自分でこの局面に対処してみろ、という色をしている。  ええい、ままよ。  慎策は徐に口を開いた。 「国松さん。お心遣いは有難いが、官房長官の言うとおり、今はゆっくりベッドに横たわっている場合じゃない。いや、こんな時だからこそ、平時よりも強靱に振る舞う必要がある」  静かだが、端々に自信を漲らせた口調。話した後、わずかに首を傾げる仕草。真垣は話す相手が一人の場合は、いつもこんなふうにする。 「それに気の毒な前例はあるが、たかが菌に負けるようなヤワな身体では、とても永田町の牛頭馬頭たちに太刀打ちできない。それは国松さんもご存じでしょう」  これも真垣を真似て不敵に笑ってみせると、国松は唇をへの字にして黙り込んだ。 「総理自らそう仰っていただけるのなら、願ったり叶ったりです。国民に向けて景気対策についての会見、それに先立つ日銀新総裁との会談、原発再稼働の是非と復興支援に関して、党首会談が控えています。いずれも総理がお出にならなければ、逃げたとも取られかねない」  慇懃な態度を崩さずに割って入ったのは、幹事長の是枝だった。退潮著しい牧村派の生え抜き、四十二歳。真垣と同様の二世議員だが、端正な顔立ちと歯に衣着せない弁舌で、国民の支持を得ている。政治家には珍しい清廉なイメージは、殊に女性と若年層に受けている。また、真垣と年齢が近いこともあり、〝国民党の若きツートップ〟と称する党員もいる。  だが、似ているのはそれくらいで、真垣と是枝には、決定的とも言える違いがある。真垣の弁舌は大衆を引き込み、性格は同僚議員を引き込む。つまり、真垣には天性のカリスマ性があった。一方の是枝には、それがない。牧村派で重宝がられ、先の選挙で参謀を任されたのも、偏に、是枝の集金能力が買われたからだった。実際、先の選挙ほど現金が飛び交ったこともなく、こと牧村派議員には、是枝から相当のカネが供給されたのだという。しかし、是枝の父親は清貧で知られた人物であり、資産と呼べるものはほとんど所有していなかった。その息子が、莫大な選挙資金を工面するのに正当な手段を講じたとは到底思えなかったが、その資金で自分たちが当選できたのだから、党内で敢えてカネの出自を探ろうとする者もいなかったのだ。  樽見によれば、党三役の中で一番油断のならないのが是枝だという。慇懃な振る舞いの下に何を隠しているのか、およそ窺い知れない。年齢の違わない真垣に大人しく追従しているのも、次の総理の椅子を狙っているという見方が大勢を占めているが、実際のところは分からない。  だが、慎策にも分かることがある。樽見の見立てはおそらく正しい。この是枝という男は、本当の表情を見せていない。慇懃さも清廉さも、どこか作り物めいている。それは慎策自身が役者だからこそ看破できる類いの虚像だった。そして、その程度の虚像作りなら、慎策の方がずっと上手であることも。 「あなたにも要らぬ心配をかけて済まなかったね、幹事長。そのとおりだ。わたしに逃げは許されない。いや、こういう形で政権を奪還した段階で、我々は誰一人として逃げられない局面に立たされている」  相手を気遣いながらも、決して主導権を渡さない物言い。これもまた真垣の口舌だった。 「わたしの執務能力について不安を訴える議員が出るやも知れないが、それは幹事長の力で封殺しておいてください。いや、図らずも今回のことは、幹事長の試金石になった感さえありますね」  投げたはずの石が投げ返されたので、さすがに是枝は面食らった様子だったが、それでも表情が強張ったのは一瞬で、すぐまた元に戻った。  頃合いを見計らって、樽見が場をまとめにかかる。 「ではお三方、包帯を替える時間です。今日のところはこの辺で」  その言葉を合図に、須郷たちは部屋から出て行った。ドアの陰から三人の後ろ姿を見送った樽見は、部屋を閉め切った途端、小さく手を叩いた。 「驚きました。完璧です。まるで真垣が、そのまま喋っているようでした」 「どうも」 「特に幹事長をやり込めたところなど、思わず拍手しそうになりましたよ。実際、過去にああいう場面が何度かありましたから」 「正直、生きた心地がしませんでしたけどね」 「ともかく、あの三人の目を騙せたのなら、まずはひと安心です」 「まず?」 「ええ」と、樽見は事もなげに言う。 「舞台の幕はまだ上がったばかりです」